怒涛の四ヶ月が過ぎた。
3月初旬の夏野菜の苗づくりを皮切りに、稲苗づくり、田植え、野菜定植、草むしり等、日々あれをしなきゃ、これをしなきゃという毎日であった。1年半前に植えたブドウも少しずつ大きくなり手と目をかけることも増え、夏も猟をすることができるようになったので罠をかけ(今のところ、鹿一頭ゲット!)、ヤギとニワトリたちが増えた(厳密にはニワトリは一度全滅し、復活した)ことにより、1、2年目にはより丁寧にしていた(だろうと思う)コメ作りに手抜き技術を増やしつつある。
苗箱を使わず田んぼの一部に作った苗代に種もみを直播して育苗して見たり、昨冬から田んぼに水を張り続け除草を楽にしてみたり、、、。
一番の"手抜き"は、田植え(手植え)に助っ人を導入したこと。が、これが意外にあまり手抜きにならないことが判明。やはり、これまで自分たちでやってきた植え方を言語化し、また、きちんと伝達する準備をしなくてはならないなぁと感じた。
具体的にはちょっとした植え方や苗の選び方、例えば苗を植えたら最後に手のひらで泥を抑えておくとか、水や泥の深いところに長い苗を使いたいので、浅いところでは短めの苗を選んで植えるとか、、、、どうでもいいようなちまちましたコツなのだが、これまでの失敗などから学んだものを伝えなくてはいけないということ。厄介なのは、作業の初期には自分たちも忘れていて、一筋、二筋植えるうちに去年はあーだった、こーだったと記憶がよみがえってきて、田植えが進むうちに所作が最適化されていく。作業途中でなんだかんだ言うのも面倒くさいので、助っ人の作業が致命的に間違っていなければ口を挟まないようにすると、水の深いところで苗がゆるくなりその後のチェーン除草作業で抜けてしまったり、植え筋が微妙に歪んで田車を押せなかったり、あとの作業でなかなか思わぬ結果が待っているのだ...。
毎年田植えをしながら、今年コメができなかったらどうしようと不安を覚えるのだが、今年は特に不安が大きい。最悪買えば良いのだからとなんとか心を落ち着かせはするが、江戸時代の農民はそれこそ死活問題だったろう。幸いにして山野草や田畑の雑草(いわゆる救荒食)を食べる技術を持っているので飢えることはなかろうが、時々自分が本当にそんなに追い詰められているのか?と他人事のように自問し、まぁそうでもないなぁと答えている自分がいる。
ちなみに3枚の田んぼを作り、1枚は前述のような状況があって除草作業を諦めたが、残る2枚のうち1枚は昨冬に水をためておいておかげか、アミミドロ(左写真)が大量発生し、雑草、特にコナギを抑えることができた。この1枚の田んぼは、昨年もコナギの発生が少なかったので特有の理由もある可能性も否定できないが、今年は可能な限りすべての田んぼで水をためておこうかなぁと画策中である。
今年の長雨の大きな影響として、集落内にいもち病が蔓延した田んぼが発生した(左写真、稲全体が赤茶けているのが分かる)。昨年までも稲の個体レベルでは、発病したものを見たことはあったが、集団発生は初めての経験。
自分の田んぼに移ってこないように祈るばかりであるが、我が田んぼではそもそも肥料少な目、植える密度薄目で風通しが良いという病害が蔓延しにくい環境であることも奏功してか今のところ伝染はしていないよう(左はメヒシバに発生したイモチ病)。
7月24日には集落内で愛宕の火祭りが行われ、この祭りの目的は虫送り(田んぼに発生した病虫害を祓う)なので、ちょうどいいタイミングなので燃え盛る炎に向かって祈願。今年もいいコメが取れますように。
稲作とは別に、今年のチャレンジの一つが無農薬によるパプリカ栽培。少しばらつきはあるが、大きなパプリカが育ちつつある。ここから赤や黄に変色していく過程でも虫に襲われやすく、野菜の中で一番栽培が難しいと言われているものなので大切に育てなきゃ、、、、、。