デラシネ

 晴れの国にあるまじきほど春先から雨が降り、気温/地温ともにあまり上がらなかったのだが、梅雨期に入り蒸し暑さを感じる日も増えてきた。この季節に著しく繁茂するアメリカネナシカズラという植物がある。たまに河川敷で叢が黄色い紐状の網で覆われたようになっているのを見かけるが、その正体はこの一年生の寄生植物である。

 とても変わった生態で、土中に眠る種が発芽しツルを伸ばし近くの植物に取り付き寄生根から栄養や水分を摂れるようになると土中の根は退化し、以降他の植物群の上層部で生活する。自分で光合成することはなく、完全なヒモ生活。ツルの太さは0.2-1.0mmくらいと細いが、その分遠くまで伸ばすことができ次々と寄生相手を見つけては成長していく。そこかしこに寄生根があるので、途中でちぎれてもそれぞれのパートが一個の個体として生きていくことができるし、寄生根のない切れ端でも草に触れていればそこから新たな寄生生活を始めるという、本当に始末に追えない強者だ。

 

 が、これを見ていると自分がいかに脆弱かと省みされるのも事実。以前の職を辞して、農村生活を選んだ理由の一つに、自分が根無草であることに疲れたことがあった。前職では日本を諸外国に売り込むことが職務だったが、東京と外国を短期長期で行き来する生活の中で自分の中の根っこあるいは帰属意識というものがどうにも希薄になり、自分が何を売り込んでいるのかよくわからなくなったのだ。そんな話を当時の上司にしたら、「そりゃ結婚してないからだよ。」と切り返されたのも笑える記憶として残っている。まぁ配偶者や子どもを持つと、自然と人間関係が複層的になりしがらみとそれに由来する帰属意識が生まれやすくなるだろうなとも思うが、自分の性格だと結婚してても同様の悩みに行き当たり配偶者を巻き込んだ騒動に発展してたのではないかと恐怖。

 帰属意識の探究は今も続いており、どうやら自分には集落への帰属意識はありつつもそれを超える社会構造(地区、町、県、国)には観察対象としてか、バイラテラルな関係性の中でしか認識できていない。もっとどっぷりと自他の境界を失うほどの帰属感を味わうという農村生活開始の目的を達成できていないことに自分の根無草度合いに呆れながらも、子供の頃の憧れはスナフキンだったなぁとか思い出しながら、その生態に畏敬の念を抱きながらも悪態をついてアメリカネナシカズラの除草に追われる日々を過ごしている。